一人っ娘と80才母 時々 アラトゥエの子供2人 & パートナー

80才の母と激動の世間の海でぷかぷか一緒に遊ぶ日々

『バカの壁』と『仕事は楽しいかね』で自分と同僚の壁に気づく

 

 

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<a href="https://pixabay.com/ja/users/jjensovskyjakuba-5302842/?utm_source=link-attribution&utm_medium=referral&utm_campaign=image&utm_content=2345477">Jakub Jenšovský</a>による<a href="https://pixabay.com/ja/?utm_source=link-attribution&utm_medium=referral&utm_campaign=image&utm_content=2345477">Pixabay</a>からの画像

私がものごころついたときには、
両親は、自営業で職人でした。

もともと、両親はサラリーマンでしたが、

脱サラしてその仕事を親戚に

勧められました。

 

家の一室が、職場になっていました。

親の仕事をする姿を見ながら

育つことができたことは、

とても幸運だったと思います。

 

でも、後を継ぐことにピンとこなくて、

サラリーマンの道を選ぶことに

なりました。

 

「明日仕事がなくなるかもしれないから」

とよく、口にしている両親の

言葉をそのまま言葉どおりに

受け取っていた私は、

サラリーマンの方が、

生活しやすいものと思い込んでました。

 

サラリーマンの生活を

知らないで、

サラリーマンになりました。

たまたま、配属された部署が、

その私の感覚にあっていたので、

不慣れで大変ながらも、

とてもやりがいがあり、

楽しかったです。

 

しかし、それは、長くは

続きませんでした。

組織改編で、異動になり、

その後は、ずっと、

大なり小なり

言葉にならない違和感と

悩みを抱えながら、

勤務生活を続けることになりました。

 

その違和感とは、つまり、

この『バカの壁

に書かれてある、

「サラリーマン」と

「職人」

の仕事観の違い

からきていた

ことに気づきました。

 

具体的にいうと、

私としては、

仕事に忠実に、

ここは、違うのではないか?と

確認をしたり、

これは、どうしますか?

と質問するだけで、

「人のあげあしとって、

何が楽しいんだか、

(ぶつぶつぶつぶつ)」

と同僚から

反論が出て

私は唖然と

してしまう

というようなことです。

 

今 の 教育 という のは、

子供 そのもの を 考え て いる

のでは なく て、

先生 方 は 教頭 の 顔 を 見 たり、

校長 の 顔 を 見 たり、

PTA の 顔 を 見 たり、

教育委員会 の 顔 を 見 たり、

果ては 文部科学省

顔 を 見 て いる。

子供 に 顔 が 向い て い ない

という こと でしょ う。  

よく 言わ れる こと です が、

サラリーマン に なっ て

しまっ て いる わけ です。

サラリーマン という のは、

給料 の 出所 に

忠実 な 人 で あっ て、

仕事 に 忠実

なのでは ない。

職人 という のは、

仕事 に 忠実

じゃ ない と 食え ない。

自分 の 作る

作品に対して

責任 を

持た なく ては いけ ない。  

ところが、

教育 の 結果 の 生徒 は 作品 で ある という 意識 が 無くなっ た。

教師 は、 サラリーマン の 仕事 に なっ ちゃっ た。

「 で もしか 先生」 という のは、

子供 に 顔 が 向い て い なく て、

給料 の 出所 に対して 顔 が 向い て いる という こと

を 皮肉 に 言っ た 言葉 です。

職 が あれ ば いい、

給料 さえ もらえれ ば いい ん だ と、

そういう こと で 先生 に「 でも」 なっ た か、

先生 に「 しか」 なれ なかっ た。  

そういう 社会 で、

現に 先生 が

子供 に 本気 で 面 と 向かっ て

何 か やろ う と し たら

大変 な こと に なっ て しまう。

その 気持ち は わかる。

親 は 文句 を 言う し、

校長 にも 怒ら れる し、

PTA も 文句 を 言う。

自分 の 信念 に 忠実

なんて とても でき ませ ん。

仕方 が ない から

適当 に やろ う という こと でしょ う。  

現在、 こういう 教育 現場 の

中枢 に いる のが 所謂

団塊 の 世代」 です。

大学 を 自由 に する とか 何とか 言っ て

闘っ て き た 年代 の 人 が

そう なっ ちゃっ て いる という のは

おかしな こと に 思える かも しれ ませ ん。

が、 私 は 学園 紛争 当時 から、

彼ら の 言い分 を 全然 信用 し て い なかっ た。

案の定、 その 世代 が 今、

教師 となり、 こういう 事態 を 生ん で いる。

養老孟司. バカの壁新潮新書) (Kindle の位置No.1508-1523). 新潮社. Kindle 版. 

 

 

赤字の部分に出合って、

腹落ちしました。

あのとき、私は、

もっと、

同僚のイメージしている

忠実になるべき

対象内容を

理解すべきだったこと。

今だったら、

そのことに、

もっと真摯に理解に

務めるのに、ということ。

 

子育て中は、

とにかく、安定した収入こそが、

子供の心身の平穏の元

と信じてました。

一理には正しかったと思いますし、

後悔もありません。

 

でも、これからの、

あるいは、今、

子育て真っただ中の

若い方に、それは、

全く当てはまらない時代

だと思います。

 

事務職も在宅勤務で、

業務がすべて可視化されて、

どの職種も、

職人のように

仕事に忠実であることが、

求められるようになって

しまったからです。

 

また、

それこそが、

仕事も

人生も

楽しめるんだろう

と思います。

 

 

 

この本はシリーズになっていて、

最終講義まで3冊だてになってますが、

3冊とも読むと、

本当に面白いです。

 

私はオーディブル

耳読でしたが、

読み返したいときのために、

近々、Kindle版も入手することに

なると思います。

 

余談ですが、

バカの壁

に出ていた

「芋ほり」の話で思い出しました。

いも畑の写真

 

長男の通う保育所でも

同じ取り組みをしてました。

この季節の晴天の日に、

今でも、時折、その光景が

目に浮かびます。

決められた畑(埋めなおししたところ)

と違うところまで、

勝手に一人で、

(埋めなおしてないところまで、)

わざわざ探しに、

畑の端っこまで、

走っていって、

他の子たちの

3倍くらい

抜いてきて、

両手でぶら下げて

きてしまい、

先生方が

親の私がいる手前

怒ることも、

ほめることもできず、

ただただ、

焦っていたことを

思い出しました。

 

私は、状況をあまり

よく把握しておらず、

ニコニコご機嫌でいただけという

親ばかぶりでしたが、

それも結果オーライ

だったということですね。

今思うと恥ずかしいですが、

親ばか上等!

と思うことにします。

 

このときの長男の顔を

撮影した写真を

当時の母が、

勝手に芸能プロダクション

のオーディション募集に

送ってしまったという

おまけつきです。

結果は・・・

ご想像にお任せいたします。

 

 

みなさまの、

秋晴れの

素敵な思い出作りが

できますように